ネガティブな言葉がポジティブに変化した言葉について

先日「平成教育委員会」を見てたら、こういう問題が出題された。

「そもそもが悪い意味だったものが、いまでは良い意味に変化した言葉」で「時代と共に意味が加えられた言葉を答えなさい」というものだ。




僕はすぐに答えることができた。それは

「こわだる」

という言葉だ。

たしかに、現在では「こだわりの味」とか「職人が素材からこだわった」とか「こだわりの技」「こだわりを貫いた逸品」とかいうふうに、なんだかプレミアムな感じもするポジティブな言葉として使われている。

なぜ、この回答がすぐにわかったかと言うと、もともと、僕は「こだわる」のが嫌いだし、ふだんから「こわだりの」なんてものがいいとは思えないと思っているからだ。

他人のこだわりにつきあうのもごめんだし、ましてや、自分のこだわりですらうっとおしい。

自分についていえば「こだわりのアイデア」や「こだやりの作品」は、自分という存在の未来の可能性を閉じてしまうような気がしているからです。

だけども、辞書にも「自分の好みを追求する」ということはなんだかいいような感じで書かれています。
今は「こだわる」のは推奨されているような空気がありますね。

周囲がなんといおうと、これがオレのやり方!という態度は有効なときもあるかも知れませんし、それを原動力として作品を作り続ける人、仕事をするうえで信念としている人も少なくないと思います。
(「これがお前のラーメンか?!」とか)

そもそも、僕は「こだわり」だけでなく、僕個人、自分という枠組みも邪魔だと思っています。

オレが作るんだから、魂を込めなくちゃって思ってた時期もありました。
オレの存在意義を見せつけなくちゃとか、組織のなかでオレらしさをアピールしなくちゃ、業界のなかで認められなくちゃ、とも考えていた時期もありました。

ですが、その頃よりも、いまのほうが、とくに若い時期にあった「自分らしく」とか「自分らしい」とかいう「こだわり」を捨てた今の中年のときのほうが、仕事のうえでも、音楽を作るうえでも、非常に自由に柔軟に作品に対して素直に向きあえているような気がします。

何よりクライアントに対して寄り添えるようになりました。

「自分」という枠組みが外れることで、かえって個性が際立つのではないかとすら考えております。

おそらく「こだわり」というのは、「こだわり」による過去の成功体験によって、自分自身を思考停止状態にしているのではなかろうかと思います。

思考停止のほうが楽です。考えなくてもいいから。

何事にもこだわらない、というのはバカのように思えますが、はたしてそうでしょうか。

いつでもどこでも、誰かの影響や刺激を受けることで、どんな自分にも変化することができるのだと思います。もっといえば成長を促進していくのかも知れません。

こだわりがないことでどんどん成長するし、正解もたくさんあるし、選択肢も増えるし、誰とでも仲良くできるし、どこででも寝れると思います。

もちろん、それらは僕の持論であります。

それを押し付けるのはいけないと思うので、早速、英語の辞書も確認してみました。


研究社 新和英中辞典

こだわる

be particular about 《trifles》
stick to 《formality》
古い習慣にこだわる
be unable [unwilling] to discard old customs
be wedded to the old way of doing things [to the old ways]
用法
・She is very particular about time.(彼女は時間にうるさいです)
・My boss is particular about small things.(私の上司は細かいことにこだわります)
斎藤和英大辞典

こだわる

自動詞
1(=関わる)to be concerned in (an affair)
2(=邪魔する)to oppose
3(=さし障る)to obstruct
いかがでしょうか。 どうも用例なんかを見ると、決して褒め言葉で使っているようには見えません。

時間にうるさい彼女とか、細かいことに拘る上司の愚痴が用法として示されている。

そのほか、邪魔する、とか、差しさわる、とか、割と英語の世界では、「こだわり」というのは、決して褒められたもんじゃない、と言っているようです。

でも、もしかしたら、日本人のほうが、「こだわり」を進化させたのかも知れないとも考えられます。

すなわち、日本は「こだわりの先進国」と言えるかも知れませんね。

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