デザインのことはデザイナーに任せよう
僕はプロデューサーという役割で、デザイナーやさまざまなクリエイターの方にデザインやらクリエイティブをお願いしています。
デザインを提出したあと、細かいところまで細かく修正指示を出すクライアントがいらっしゃいます。
当然のこと、と思うでしょう?
お金を出しているのはこっちだし、口出しして当然ですよ。
しかし、中にはその内容を修正すると、別のところも直さなくちゃならないとか、色を加えると、その色を加えるだけで、風景が変わってしまう。
そんな微細な変更が、作品全体に影響することが多々あります。
たとえ1カ所の修正であっても、そのたった1カ所のために、そもそも「作品の持っている力強さ」が明らかにパワーダウンするような状況を僕はたくさん目撃しています。
僕は、デザイナーさんが出してくるアイデアについて、あまり細かい指示を出さないようにしています。
それを「適当で人任せで、いい加減なやつだ」と思っている人もいるでしょう。
ですが、そのかわり、発注する前に、コンセプトはしっかりと作ります。
コンセプトと素材、これさえあれば、デザイナーは思った通りの、いや、思った以上の素晴らしい作品を作ってきます。
とてもわくわくするエネルギーとパワーに満ちあふれているのです。
これは数字やスペック、理屈、論理を超えたパワーなのです。
一瞬で心を奪われる。
この魅力を数値化することや分析することができましょうか。
優れたクリエイティブやデザインは、たくさんの素晴らしい言葉よりも雄弁で、そして、観る人の想像力や五感のすみずみを研ぎすまし、脳だけでなく、身体全体をわしづかみにするパワーを持っています。
そのパワーの前には、細かいことなんざ、さながら鼻くそのようなものです。
余計な口出しをすればするほど、鼻くそまみれになって、さらに、みるみる作品が本来持っているパワーが失われていくでしょう。
もちろん、そんな細かい修正でパワーなんか失われるものか!
と思う人もいるでしょう。
ところがです。失われていくのですよ。
あがってきたデザインをみて、「あれ、なんか思ってたより地味かな、、」とか、「これはちょっと私のイメージとは違うな」とか「おそらくこのデザイナーは意図がわかっていないのでは?」とか「えー、これは上司の○○さんの好みじゃないよなあ。。」とか、そういう違和感を感じることがあるでしょう。
おそらく、そう感じるはずです。
それはその通りです。正しいです。
もう30年近くこういう業界で働いている僕ですら、そう思うことはしばしばです。
だから、なんとか手を加えなくちゃならない。だもんで、いろいろ手を加えたり、別のクリエイティブを見せながら、こんな感じ!とか余計な口出しをしてしまうでしょう。
もちろん、そういう口出しによって改善することや、また新しい切り口によるパワーが生まれたりすることはあります。
ですが、だいたいの場合、そういう口出しは余計なことになります。
その結果、余計な口出しのために修正をしてもらい、さらに、それからクライアントから修正をいただき、さらにその上司からも修正を依頼される。
これだけで3回も修正しなくてはならないし、3人の意見が統一されていないからますますおかしなことなっていく。
しかも、3人とも、修正を依頼したりするのが仕事だと思っているから、ますますよくないことになります。
また、そんなブレた3人の意見に振り回されていると、デザイナーは意欲を失っていきます。もともと自分のアイデアがあるのに、はいはい、言われた通りに直しますよ。これでよござんすよね?といった気分になってしまう。
そんな悲しい気分で作ったクリエイティブは、本来の魅力的なパワーはそがれてしまって当然ですよね。
誰が悪いわけではないのです。
みんなそれぞれ一生懸命なんです。よかれと思って真面目に取り組んでいます。
だから、クライアントが悪いわけでもないし、担当者も部長も悪くない。プロデューサーやディレクターも悪くない。みんなよかれと思って意見を言っているのです。
だから、僕の仕事は、クリエイターやデザイナーのアイデアを尊重し、クライアントの細かい指示を妥協させること、だとも考えています。
なんだ、坂根は自分の意見も持たず、発注先のクライアントの意見を聞かないで、デザイナーの言いなりなんて、心構えがなっとらん、失礼なやつだ、それで金をとっているのか!と思われるでしょう?
ところがです。
デザイナーやクリエイターのいうとおりに作った作品のほうが、最終的にクライアントに喜ばれるんですよ。
なぜでしょう?
優れたデザイナーやクリエイターは「クライアントのお客様」のことを考えているからです。
彼らのメッセージは、クライアントに喜ばれるものに向かっているのではなく、クライアントのお客様へと向かっているのです。
その「クライアントのお客様」にとって、どういった作品が良いか、ということを真剣に考えたうえで、アイデアを出しているからです。
だから、「クライアントのお客様」の評判が良ければ、クライアントも満足しますでしょう。
だから、僕はデザイナーやクリエイターに仕事を任せたら、細かいことは言わないことにしています。3回発生する修正を2回とか1回、いや、できれば、クライアントの修正を最低限にしてもらうなどの努力をします。
もちろん、言いたいことはありますよ。ちょっと地味かなあとか、ちょっとうるさいかなあとか。
でも、そういう作品はとても評価されます。
これはあくまで僕の経験ですが、クライアントが細かく指示を出して、彼らの言う通りにつくった作品は、あまり評価されません。
逆に、完全にお任せで作った作品は、とっても評価されます。
そういうことを体験しています。
もし、あなたが、クライアントの立場で、デザイナーさんに発注するときは、もしくは、あなたがディレクターでデザイナーにお願いするときには、だまされたと思って、完全にお任せでお願いしてみてください。
きっと良い結果になることでしょう。
ただし、デザイナーが誰でもそうだ、とは言えません。
デザイナーにもいろいろなタイプがいます。本当に心から喜んでもらっている仕事ができる優秀なデザイナーを選ぶことも重要です。
そして、デザイナーも過去の実積に慢心するのではなく、つねに謙虚な姿勢でクリエイティブのパワーを信じているデザイナーであること、そして想像力が豊かなデザイナー、または、そういうことに価値を求めて努力しているデザイナーであることは最低条件です。
そして、コンセプトをしっかりと作ること。
発注するときには、必ずコンセプトについて語り合い、そのコンセプトだけでいろいろな想像力がかきたてられるような哲学を共有すること。
それはとっても大切です。
コンセプトとは哲学です。
交換不可能な哲学です。
他のブランドと差し替えても違和感のないものは、コンセプトではありません。
それに、コンセプトは手法ではありません。
これは人の企画書でよく見かけるのですが、コンセプト、といいながら、手法を語っているものが実に多いです。
コンセプトとは、テクニックではありません。ですから、
「高級感あふれるテクスチャー」
とか
「余白を生かしたデザイン」
とか
「スマホと連動したレスポンシブデザイン」
というのはコンセプトではありません。手法です。
コンセプトとは、例えば
「下北沢あたりの古着屋で売っているパーカーの胸に描かれているようなロゴデザイン」
とか
「険しい山の頂きのうえから美女が微笑んでいるときに心に芽生えたときめき」
とか
「100年に渡る御社の歴史を感じられる過去の実積、現在の姿勢、未来への視線」
といったような文学的な表現や、
「100年後のロックンロール」
といったものなど、言い方や文法はさまざまですが、誰にも理解できないけど、誰でも想像したくなるような言葉が必要だと思っています。
つまり、その言葉から、いろいろな手法が生まれるだろうと説明したくなるような言葉、こういったものがコンセプトとしてふさわしいと思っています。
そういった言葉があって初めて、
「余白のあるデザイン」とか「キャッチコピーを明朝体で」といったような手法が生まれてくるのです。
ですから、いくらお任せといっても、このコンセプトをしっかりと作り、もしくはデザイナーさんと一緒に考えたり、とにかくこういったことにしっかりと時間をかけたりすれば、あとは本当にお任せです。
でも、このコンセプトづくりも難しいなあ、というのであれば、それも含めてデザイナーさんにお任せいただくのが良いと思います。
で、コンセプトについては、しっかりとダメだししてください。
でも、コンセプトが決まったら、あとはダメだししないように。
彼らにいい仕事をしてもらうためには、お任せが一番ですよ。
コメント
コメントを投稿