廃県置藩

「辺境ラジオ」で内田樹さんと名越康文さんが、「廃藩置県」ならぬ「廃県置藩」にしたらどうか、という話をしていた。
その理由は、現代でも我々は「県」というより「藩」による共同体の意識が強いという理由からだが、「藩」というのは、人々の生活や交流の範囲など歴史の稜線によって区分けされているものだから、おそらく「県」ではその概念は大きすぎる、という理由からだ。
「市」や「県」ではなく「藩」という概念から行政を行ったら、きっとうまくいうのではという仮説を展開されていた。さすが、面白い!
つまり、県民性みたいなものはおそらく「藩民性」みたいなもので区分けられているほうがしっくり来るのではないか、ということ。
たしかに、光市と下関と萩では、まったく文化も人種も異なるような気がする。
そもそも光市とは何なのか?
光市は昭和14年に浅江、島田、三井と、それまで熊毛郡だった光井村が合併し、その後、室積村が合併したという。
江戸時代は、萩藩の統治のもとにあった。
15世紀、16世紀は光井氏という海賊が光井を仕切っていたという。地名もおそらくそこから。
で、光井兵庫助源兼種さんという人が、八海(僕の生家の近く)の山にお城を作っていた。(これは小学校のとき、校長先生から聞いた)で、この光井兵庫助源兼種さんが冠天満宮を再建したという。
海賊が八海に城を作っていた、というのもなかなか面白い。
で、この光井さんについては「光井風土記」に書いてあるということだが、ぜひ読んでみたい。
で、こうやって調べていたら、もっと昔の大和朝廷の頃の話がでてきた。
光市は「周防国造」という官僚みたいな人の支配だったというが、この周防国造は出雲臣の系統に属する、というのを見て驚いた。
なぜなら、「坂根」という名字は、出雲がルーツだということを聞いたことがあるからだ。(なぜなら、坂根さんは出雲に一番多い。)
ということは、「坂根」姓は、大和朝廷時代に出雲から光市にやってきた、という仮説が成り立つ。
で、さらに坂根という姓を調べてみたら
出雲という土地はあの世とこの世をつなげる辺境である、という概念があるようで、坂は「あの世」、根は「この世」という意味があり、あの世とこの世の境目、という意味もあるのではないかという説もあった。
よくファックスで「坂根様」を間違えて「板根様」と書かれることがよくあった。(これは、全国3000世帯といわれる坂根界では、坂根あるあるとして最もポピュラーな間違いネタ)
その都度、「おまいら坂本を板本とかかくか?坂田を板田とかかかないだろ?」なんて心のなかで思っていたが、あの世とこの世の境目、という説になんとなく救われた気がしましたよ。
とまあ、そんなことで、今日の探索はこれくらいにしておこう。
いずれにせよ、光市の坂根さんは、大和朝廷の頃に、出雲からやってきたらしい、という仮説。
いずれ、出雲にも行ってみなくてはならない。

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