PTA活動にどっぷりつかったら全国で表彰された件①

2017年(平成29年度)から、小学校のPTA活動に参加しました。

役職は、広報委員長。PTAの広報紙を発行する仕事です。

小学校のPTA広報紙は、コンクールというやつがありまして、市町村の単位、都道府県の単位、そして全国という単位でそれぞれコンクールがあります。

平成29年度では4回の広報紙を発行し、その内容について評価され、最終的に全国という単位で受賞(日本PTA会長賞)しました。

なかなかこのような体験も珍しいケースだと思うので、この話について、しばらく書いてみようと思います。

罰ゲームのような広報委員会


もともと、一般的にPTAの活動のなかでも「広報委員というのは大変」という噂があります。

毎年委員を決めるのが大変で、くじ引きや長時間(さらには電話などによる)の説得によって、毎年のメンバーが決まるという罰ゲームのような委員会と言われていました。
なぜ、そうなのか、ということにはいろいろな理由があると思います。

◎取材や撮影でたびたび出かけなくてはならない
◎そのため、仕事を休んだりしなくてはならない
◎文章を書くのが苦手だ
◎ましてや、見出しとか考えるなんて。。。
◎デザインなんてやったことないし
◎パソコン苦手だし
◎印刷?なにそれ
◎印刷会社とのやりとりが苦痛

そういった「一般の主婦」がなかなかやらないような作業が多く、どうしていいかわからない状態を抱え込むことが苦痛でならない、というものです。

その話やさまざまな噂を聞いていたので、あえて参加することにしました。

どうせやるなら、大変なやつをやろう。
さらに、自分のクリエイターとしての仕事も活かせるし、むしろ、僕にとってはお遊びとしてはちょうどいいかもしれないし、ほかの委員の皆さまの役にたつかもしれないという想いもあり、僕がこれをやるのは自分自身が適任と考えておりました。

という動機から自分で立候補することにしました。

「主婦は怖いよ」と脅される


ということで、PTA委員を決めるずっと前から、友人や知人に
「来年はPTAやるよ」
と宣言しておりました。

その度に、彼らは、僕がPTAをやるということが意外であるということであるので、笑いながら面白がってくれましたが

「いやあ、しかし大変だよ。主婦は怖いよ〜」

と異口同音にアドバイスをくれました。

長年の友人たちですら、僕がPTAに参加するということに若干の不安を感じていたようです。

いずれにせよ、主婦は怖い、ということだそうです。
なぜなら、彼女たちを敵に回すと、想像以上にダメージを受けるぞ、という忠告でした。

とはいえ、僕に何か対策があるわけでもなく、さらに主婦に好かれるような素質もあるわけではない。

ただし、僕は小さい頃から近所には女の子しかしなかったため、女性たちの集団はむしろ男性たちの集団にいるより居心地が良いという経験があり、また、仕事のうえでも女性たちのプロジェクトに参加することも多く、そこでの仕事での経験もあるので、あまりその点について恐怖はなく、むしろ大勢の女性たちのなかにポツンとひとり存在するのは自然とすら感じておりました。

さらに、僕が彼女たちに提供できるであろう仕事ぶりを発揮すれば、それは歓迎されるべきことだろうと。つまり、彼女たちが嫌がっている仕事を率先してやってあげるのだから、それは喜ばれて然るべき、そのように楽観的に考えておりました。

さて、そんな期待に胸を躍らせ、いよいよ委員を決める日がやってきました。

歓迎されると思いきや


その日の午後、PTA委員の役割を決めるため、視聴覚室にたくさんの主婦たちが集っていました。1年間の運命が決まるわけですから、その場の雰囲気は決して穏やかなものではありません。

さらに見回したところ、顔見知りの主婦もいません。
さすがの僕もこの雰囲気にのまれ、ちょっと緊張しました。

そして、いよいよ、自分の所属する委員会を決めるときがやってきました。

「では、みなさん、それぞれ希望の委員会の場所に集合してください」

という声のあと、僕はまず迷わず「広報委員会」の場所に行きました。

行きましたが、他は誰もいません。

他の委員会の場所を見てみると、たくさん人が集まっているのに、広報委員会の場所には僕以外誰もいません。

なるほど、想像以上に「広報」は嫌われているんだな、と実感しました。

いや、まてよ。なんか変なおっさんがいるから不安なのか?
ここに僕がいてはいけないのだろうか?
そんな想いを巡らせていると、ちらほら、人が集ってきました。

「あらかじめ広報に推薦されました」という方や、「ほかの委員会が定員を超えていたので、、、」という方や、「くじ引きが始まりそうだったので、、、」という方、それにくじ引きに負けた方など。

さらに、この日に出席してない3人が自動的に広報に加わることになりました。

つまり、広報をやりたいと立候補したのは僕だけ。

「広報はやりたくなかったな〜」という想いで集まった雰囲気の6人のところに、本部の女性の方がやってきました。

「はい、ではこのメンバーのなかで委員長を決めてください。」

というので、僕が「やりますよ。」と手をあげました。

彼女はまず驚いた様子を見せながら、意外な言葉を発しました。

「えーと・・・・他にいませんか?」

毎年、広報委員を決めるのに難儀するという状況でありながら、さらに、委員長を決めるのは大変なんだ、という話を聞いてました。

ですから、僕がやるよ、といえば、みなさんも安心すると思っていました。

いや、むしろ、歓迎されると思っていました。「え〜!いいんですか!!? すみませんがよろしくお願いします!!!ありがとうございます!」これくらいの感謝を期待していたのに、

「・・あの・・・・委員長、どなたか、いかがです?」

僕の視線を無視して、うつむきがちな他の6人に問いかけます。

「あの、すみません、僕がやろうと思うんですが、、何か問題あります?」

そのとき、彼女は何やら、委員長は大変なんですよ、とかなんとか言いながら、僕のやる気を失わせるような言葉を並べます。

「いや、別に大丈夫だと思いますけど、、、、何かご迷惑なんでしょうか?」

といったようなやりとりをして、しぶしぶ認めていただきました。

いま思えば、これは「正常性バイアス」なのかもしれません。
正常性バイアス(せいじょうせいバイアス、英:Normalcy bias)とは、認知バイアスの一種。社会心理学、災害心理学などで使用されている心理学用語で、自分にとって都合の悪い情報を無視したり、過小評価したりしてしまう人の特性のこと。 人間の心は、予期せぬ出来事に対して、ある程度「鈍感」にできている。日々の生活の中で生じる予期せぬ変化や新しい事象に、心が過剰に反応して疲弊しないために必要なはたらきで、ある程度の限界までは、正常の範囲として処理する心のメカニズムが備わっていると考えられる

つまり、本部役員にとって「委員会決め」という行事は毎年ストレスのかかる行事であり、彼女たちの心理的な不安に対して、僕が「予期せぬ」行動をとったため、その行動に対してパニックが起こってしまったのかも知れません。

たとえば、クリエイティブの現場でも、この「正常性バイアス」は常に顔を出します。

思いもよらぬアイデアというのは、だいたい歓迎されません。
それはこれまでの体験や経験から、見たことのないものや予想していないものに対して、僕らは拒否反応を起こすことがあります。

しかし、そういったものの多くは、これまでの既存の枠組みを壊すほどの新しいスタンダードを作るイノベーションを起こすことがあります。

そもそも、誰も「驚き」を歓迎しません。

Appleの作り出したプロダクトやAmazon、Facebookがまさかここまで世界を席巻することは予想されませんでした。

つまり、「正常性バイアス」が起動することは、新しい何かの始まりを予感させるものです。

ですから、彼女のこの反応こそ、これから始まる広報委員会の快挙を生み出したのかも知れません。

<つづく>

コメント

  1. こんにちばんは。
    年始挨拶の文に期待させる文字の並びがあったので、初めてこのブログを覗いてみました。
    この先をワクワクしながら楽しみにしています。
    但し、一文の修正を希望します。
    「女性たちの集団はむしろ男性たちの集団にいるより居心地が良い」
    これはあなたの周りにいるとよく見る光景でした。
    しかしながら、居心地が良いのではなく、「女性が好きだから」っていうのが私の中の答えですが、いかがでしょうか?

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