人生は間違いや失敗だらけ

できれば、誰だって「間違い」や「失敗」はしたくない。
別に成功とかは望んでいないとしても、「間違い」や「失敗」については避けて通りたい。

ですが、「間違えないようにする」という意識が、世の中に、いや、最近の世の中ですごく強くなっているな、と思うことがあります。

ネットでは間違った人や失敗した人に、いや、それどころかちょっとした失言に対しても、やれ「謝罪しろ」とか「死ね」とかそういう言葉を軽々しく使っている状況も日常的に目にすることも多くなりました。

僕のことでいえば、PTA活動を通じての付き合いでも強く感じることだし、世の中全体も、「間違い」や「失敗」に厳しくなっている気配を感じます。

自分自身を省みますと、小さな頃から間違いや失敗の連続だし、やっちゃいけないこともたくさんやりましたし、上司やクライアントにケンカを売ったり、どうでも良いことで人を傷つけたり、好きになっちゃいけない人を好きになったり、お金のトラブルからなにから、、、まあ、とにかく、書ききれないほどの間違いや失敗のオンパレードです。

わかっちゃいるけど、つい、やっちゃうんですね。

たぶん、間違いや失敗をしないように生きていれば、だいぶ楽だったかも知れません。

しかし、どうでしょう。

間違いや失敗は、自分から望んだものではありません。

これはすごいことだなと。

つまり、自分が欲しいと思った間違いや失敗ではないということです。

手に入れようと思っても手に入れられない、ギフトのようなものです。

いわば、神から与えられたギフト。

や、もちろん、ちゃんと正しく生きていれば、間違いも失敗もなかったじゃん。とも思われますが、間違いや失敗を望んでいるわけではありません。

ですから、これはギフトだと言えるでしょう。

なぜなら、間違いや失敗は、その経験によって、多くのことを教えてくれるし、そのつど、新しい学びのきっかけを与えてくれます。

失敗の苦しみは耐えられないほどの心の傷になりますが、与えられなければわからない痛みだし、間違いを起こさないと失敗の怖さや恐ろしさを肌で感じることができない。

そういった言葉にできないことをたくさん理解することができる。

物事の本質が見えてくることもあるでしょう。

「痛みのわからない優しさ」しか与えることもできません。

踏み外すことがなければ、踏み外すことを理解できないし、間違えないようにするという行動は、間違えたときにその相手や自分を逃げ場のない状態にする、ということに等しいと思います。

失敗もあって生活もある。楽しいと悲しいに寄り添って、人生は続いてゆく

僕らはみんな生きている

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