毅然とした態度に気をつけろ

人は、「毅然とした態度ではっきりと言い放つ言葉」に弱い。




たとえ、それが嘘であっても、論理的におかしな箇所や、冷静に考えてみればつじつまが合わないことなどがあっても、その「毅然とした態度ではっきりと言い放つ言葉」の前では、それらの疑念がふっとばされることがある。僕も思い当たる節がある。

これは人間の脳が「毅然とした態度ではっきりと言い放つ言葉」に対して、信じてしまうという機能があるらしい。

その真意や学術的な証明は定かではないが、もし機能だとしたら、なるほどな、と思ってしまいます。

その機能のために、

◎彼氏が浮気をしていても、ほとんど状況証拠が挙っているにも係らず、
 
 「浮気なんてしてねえし」
  
と毅然とした態度ではっきり言い放たれると、信じてしまう。
いや、信じてみたほうがいいかもしんない。だってふたりとも愛しているから。
と思ってしまう。

◎この会社、辞めたいな、と思っていても、

「お前、よそで通用すると思っているのか?」

こういう言葉を、上司の毅然とした態度ではっきり言い放たれると、
その言葉の呪縛に囚われてしまい、なんだか自分が間違っているような気がして、辞めるに辞められなくなる。

◎「この法案は戦争をするためのものではございません!」

と毅然とした態度ではっきり言い放たれると、そうか、なんだかこの人がこう言うんだから、間違いないよな。

と思ってしまう。

その張本人に嘘つきの前科があったとしても、はっきりと毅然とした「迷いがなく澱みがない」言葉に我々は弱い。

負けないぞ、と抗ってみても、100%の確信が持てなくなってしまう。

こういう人間がいけない、というのではありません。

先程も書いたように、機能なのだからしょうがない。

「毅然とした態度ではっきりと言い放つ言葉」に弱い。

生物として人間の仕様がそうなっているのです。

おそらく前回書いた「スネ夫化するわたしたちの未来」の理由については、スネ夫としたほうが戦略的に正しい、と思っているからだと思います。
(ただし、会社ではスネ夫であっても、彼氏の前ではジャイアンかも知れない、というように、人はTPOによって使い分けていると思います。)

だから、人間は同じ過ちを繰り返す。

彼氏は浮気を止めないし、自分も会社が辞められない。そして、きっぱりとした言葉によって、我が国の憲法解釈も私たちが望まない方向に舵を切られることだろう。

しかし、これでいいのだろうか?

このまま、毅然とした態度にやられっぱなしでいいのだろうか?

「絶対に」

なんて言われると、それが嘘であっても、「おお、そうか!」とうなづいているでしょう。

では、どうすればよいか。

わたしたちは「毅然とした態度ではっきりと言い放つ言葉」に弱い、と思っていれば大丈夫だと思いますよ。




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