WEBディレクターの心得 その1「師匠を探す」
WEB業界で一番足りない人材は、WEBディレクターだと言われている。
もちろん、名刺に「WEBディレクター」という肩書きの人は多いが、ここでいう「足りない」というのは、そのほとんどの人が、WEBディレクターとして役割を充分に果たせていない、という意味だ。
僕自身、制作会社に仕事を発注したり、「WEBディレクター」の方々とプロジェクトをご一緒したりするなかで、ためいきをつくことも多い。
その要因のひとつとしては、
仕事を仕切る経験値が圧倒的に足りないということが考えられる。
これは実体験として感じるものなのだが、仕切るというのは経験がないと獲得できないものだと思っている。
仕切る、というのは、すべてオレが責任とる。ということだ。
それは、チームに対して責任をとるということ。 クライアントに対して、チームのへまもオレの責任として引き受ける、ということ。 チームの誰かのせいでプロジェクトがおかしくなっちまっても、オレが責任とるということ。
そして、その愚痴をチームに言わないということ。
これさえあれば、WEBディレクターは完成するといっていいと思う。
技術を知らなくても平気だ。
プロジェクト管理スキルとかそんな言葉も不要。
逃げたくなっても逃げない。 自分のせいじゃなくても、謝罪する。
WEBサイトでミスがあったら命取りだ。
僕は、この約20年の間、ミスもたくさんやった。
部下がミスをやったし、その都度、たくさん謝ってきた。
自分が悪くなくとも、自分が悪い、と引き受けるのは、こういって文章に書くと、すごく軽い感じがするんだが、実際にそういう立場に直面してどういう反応をとれるか、っていうのは、実際にその立場にいないと経験できない。
しかし、ディレクターなんて立場で仕事をしていると、なんだか、自分が悪いと決めつけることがよくないんじゃないかという気持ちになる。
また、自分が間違っていたことを素直に認めると、一貫性がなくてよくないんじゃないかという気持ちにもなる。
そして、それらがストレスになってのしかかってしまって変な気分になる。
問題はそこだ。
こういった疑心暗鬼や、トラブルが起こったときのストレスに対してWEBディレクターの多くはどうしていいかわからなくなる。
その理由は、簡単だ。
なぜ「どうしていいかわからなくなる」のか?
自分の師匠がいないからである。
かっこよくいえば、ロールモデルが不在。
簡単にいえば、お手本がない。
上司に相談するも、上司も経験したことのない若造だから、どうにもならない。
そこで、「やっぱり、自分にはむいてないんだと思います」 という結論を導く。
なぜ、WEB業界にディレクターが育たないか。わかった気がする。
みんな、この言葉を口にするのだ。
「やっぱり、自分にはむいてないんスよね」
さらには 「一人でパソコンで作業してるときは、凄い充足感を感じるんスよ」 とか、
もっとひどいのは
「やっぱり、WEBだけにこだわってるわけじゃないんで〜、いずれはカフェとか自分でやりたいな〜って友達と話してて〜」
という不思議なことを言う人もいる。
これらの言葉は、僕がある会社でWEB制作の部門長をやってたときに聞いた言葉だ。
面接のとき、あまりにも張り切っているので釘を刺した。
「WEBのディレクターは大変だよ〜、チェックも面倒だし、細かいし、帰るの遅くなるし、もう、しんどいけど、それでもやる?」
「はい。WEB業界でがんばってみようと思ってるんで!」
といったような人間が数ヶ月後に
「とくにWEBにはこだわってないんで。。。」 と言うのである。
僕の教え方やケアが悪かった、といえばそうかも知れない。
しかし、業界全体にWEBディレクターが足りないというのだから、たぶん僕のせいだけでもないような気がする。
僕のキャリアのスタートは、映像制作会社のアシスタントディレクター、いわゆるAD。
今はどうかわからないけど、ADといえば、人間以下の扱いを受ける。
朝早くから夜遅くまで、上司の気まぐれにつき合わされ、現場では誰よりもあちこち走り回り、重い荷物を持って運んだり、さらには、スタッフや出演者が心地いいような空間づくり、飲み物や食べ物の準備、クライアントが立ち会いのときには、クライアントには最大限の気を配り、撮影が始まると、空気のように存在を消し、情報の伝達やあらゆることに気を配っていないと、怒号が飛ぶ。
いや、緊張感のあるときはまだいい。
長時間、ただそこにいて、何か用があるまで、空気のように立っている、というのが一番きつかった。
おそらく、充実感も人間性も全くない状態だ。
しかし、そこで、意識的にも、無意識的にも、観察力が鍛えられることは確かだ。
常に周りを気にしていないといけない。何か考えなくてはならないし、ディレクターの急な思いつきに反応しなくてはならない。
この緊張感が、人間のいくつかの能力を向上させると思っている。
・ディレクターがクライアントとどういう表情で接待をしているか。
・ディレクターがスタッフにどういう説明をしているか。
・ディレクターが出演者にどういう演出をしているか。
・ディレクターが、どういう理不尽なことを僕にいいつけるのか。
こういうことを考えていると、次第に次のステップではこう考えるようになる。
(できるだけ)彼が怒号を発しないようにするには、今僕は何をすればいいだろうか。
スタッフがやや暇そうにしているが、いま、彼らは休んでいてもいいのだろうか。
お、そろそろカメラのバッテリーが切れる頃だから、次のを充電しておかなくては。
おや、クライアントの表情が変わった。何かいいたげだ。ちょっと声をかけてみよう。
というふうに、自発的に動くような基礎体力がついてくる。
これは、決して僕がそういう人間だから、という訳ではない。
誰だって同じ日常を繰り返していたら、そういうセンサーが働くようになるもんだ。 とまあ、映像制作の現場では、書き尽くせないほどの経験を積んだと思っている。
そういう「下積み」は、クリエイティブにとって必要だと思っているが、WEBの業界にはそれがない。
デザイナーやコーダー、プログラマーは下積みというよりは、経験と実績で自分自身を成長させることができる。
デザインというのは、生まれもっての感性などもあると思うが、生まれもっての感性でなんとかなっちゃうツールがたくさんある。
だから、感性のある人では、ある程度のキャリアを積めばいい感じになる。
コーダーやプログラマーも師匠を必要としない。 わからないことがあれば、ネットで検索すればだいたい解決するからだ。「情報」や「テクニック」は無料で手に入る。
たとえば
「Javascript 横スクロール IE7 不具合」
と検索すれば、それに関する記述や説明が無料で手に入る。
「ファイル 上書き 先祖帰り 謝罪の言葉」
と検索しても、いまそこでクライアントに電話で説明するのにふさわしい言葉は手に入らない。
つまり、WEBディレクターが不在なのは、業界の構造として当然の結果であると考えられる。
僕が、ここで、「責任とは」 ということを論じるとする。
おそらく、それに対しては、誰だって「そうだよな」と共感してもらえると思う。
でも、実際に、自分がその立場にたったとき、同じように感じてもらえるかどうかはわからない。
人からの批判や、苦情や、罵倒に慣れないと、誰だって逃げ出したくなるものだから。
では、どうすればいいか。 答えは簡単だ。
自分の上司がいないのなら、 趣味でもいい、他の会社でもいい、近所のおっさんでもいい。 自分の師匠を何人か見つけることだ。
そして、その人と一緒に過ごし、観察し、ふるまいや言葉づかいをマネしてみること。
お茶したり、ご飯を食べたり、お酒を飲んだり、休日を過ごしたり、旅行に出かけたり。 それだけで、責任に少し近づける。
人があなたの言うことを聞いてくれるようになる。 嘘だと思ったら、試してみてから、文句を言ってください。
ただし、家族や身内は師匠にはなりえない。家族や友達は参考にならない。 他人で、できるだけ自分より年齢の離れた人がいい。
もしくは、そういった人が複数であればあるほどいい。
気心も知れない人であればよりベター。 まずは、これだけで新しい世界が見えてくるから不思議だ。
ディレクターの仕事とは、
「自分の意見や思想や価値観の合わない人と、いかに仲良くふるまうか」
ということなのだ。
自分の会社とは別の、家族とも別の世界で師匠を見つけるのことが、あらゆる場面で、どのように振る舞えばよいか、いいお手本を見つけることができる。
インターネットでは出会うことのできない振る舞いがそこにある。
もちろん、名刺に「WEBディレクター」という肩書きの人は多いが、ここでいう「足りない」というのは、そのほとんどの人が、WEBディレクターとして役割を充分に果たせていない、という意味だ。
僕自身、制作会社に仕事を発注したり、「WEBディレクター」の方々とプロジェクトをご一緒したりするなかで、ためいきをつくことも多い。
その要因のひとつとしては、
仕事を仕切る経験値が圧倒的に足りないということが考えられる。
これは実体験として感じるものなのだが、仕切るというのは経験がないと獲得できないものだと思っている。
仕切る、というのは、すべてオレが責任とる。ということだ。
それは、チームに対して責任をとるということ。 クライアントに対して、チームのへまもオレの責任として引き受ける、ということ。 チームの誰かのせいでプロジェクトがおかしくなっちまっても、オレが責任とるということ。
そして、その愚痴をチームに言わないということ。
これさえあれば、WEBディレクターは完成するといっていいと思う。
技術を知らなくても平気だ。
プロジェクト管理スキルとかそんな言葉も不要。
逃げたくなっても逃げない。 自分のせいじゃなくても、謝罪する。
WEBサイトでミスがあったら命取りだ。
僕は、この約20年の間、ミスもたくさんやった。
部下がミスをやったし、その都度、たくさん謝ってきた。
自分が悪くなくとも、自分が悪い、と引き受けるのは、こういって文章に書くと、すごく軽い感じがするんだが、実際にそういう立場に直面してどういう反応をとれるか、っていうのは、実際にその立場にいないと経験できない。
しかし、ディレクターなんて立場で仕事をしていると、なんだか、自分が悪いと決めつけることがよくないんじゃないかという気持ちになる。
また、自分が間違っていたことを素直に認めると、一貫性がなくてよくないんじゃないかという気持ちにもなる。
そして、それらがストレスになってのしかかってしまって変な気分になる。
問題はそこだ。
こういった疑心暗鬼や、トラブルが起こったときのストレスに対してWEBディレクターの多くはどうしていいかわからなくなる。
その理由は、簡単だ。
なぜ「どうしていいかわからなくなる」のか?
自分の師匠がいないからである。
かっこよくいえば、ロールモデルが不在。
簡単にいえば、お手本がない。
上司に相談するも、上司も経験したことのない若造だから、どうにもならない。
そこで、「やっぱり、自分にはむいてないんだと思います」 という結論を導く。
なぜ、WEB業界にディレクターが育たないか。わかった気がする。
みんな、この言葉を口にするのだ。
「やっぱり、自分にはむいてないんスよね」
さらには 「一人でパソコンで作業してるときは、凄い充足感を感じるんスよ」 とか、
もっとひどいのは
「やっぱり、WEBだけにこだわってるわけじゃないんで〜、いずれはカフェとか自分でやりたいな〜って友達と話してて〜」
という不思議なことを言う人もいる。
これらの言葉は、僕がある会社でWEB制作の部門長をやってたときに聞いた言葉だ。
面接のとき、あまりにも張り切っているので釘を刺した。
「WEBのディレクターは大変だよ〜、チェックも面倒だし、細かいし、帰るの遅くなるし、もう、しんどいけど、それでもやる?」
「はい。WEB業界でがんばってみようと思ってるんで!」
といったような人間が数ヶ月後に
「とくにWEBにはこだわってないんで。。。」 と言うのである。
僕の教え方やケアが悪かった、といえばそうかも知れない。
しかし、業界全体にWEBディレクターが足りないというのだから、たぶん僕のせいだけでもないような気がする。
僕のキャリアのスタートは、映像制作会社のアシスタントディレクター、いわゆるAD。
今はどうかわからないけど、ADといえば、人間以下の扱いを受ける。
朝早くから夜遅くまで、上司の気まぐれにつき合わされ、現場では誰よりもあちこち走り回り、重い荷物を持って運んだり、さらには、スタッフや出演者が心地いいような空間づくり、飲み物や食べ物の準備、クライアントが立ち会いのときには、クライアントには最大限の気を配り、撮影が始まると、空気のように存在を消し、情報の伝達やあらゆることに気を配っていないと、怒号が飛ぶ。
いや、緊張感のあるときはまだいい。
長時間、ただそこにいて、何か用があるまで、空気のように立っている、というのが一番きつかった。
おそらく、充実感も人間性も全くない状態だ。
しかし、そこで、意識的にも、無意識的にも、観察力が鍛えられることは確かだ。
常に周りを気にしていないといけない。何か考えなくてはならないし、ディレクターの急な思いつきに反応しなくてはならない。
この緊張感が、人間のいくつかの能力を向上させると思っている。
・ディレクターがクライアントとどういう表情で接待をしているか。
・ディレクターがスタッフにどういう説明をしているか。
・ディレクターが出演者にどういう演出をしているか。
・ディレクターが、どういう理不尽なことを僕にいいつけるのか。
こういうことを考えていると、次第に次のステップではこう考えるようになる。
(できるだけ)彼が怒号を発しないようにするには、今僕は何をすればいいだろうか。
スタッフがやや暇そうにしているが、いま、彼らは休んでいてもいいのだろうか。
お、そろそろカメラのバッテリーが切れる頃だから、次のを充電しておかなくては。
おや、クライアントの表情が変わった。何かいいたげだ。ちょっと声をかけてみよう。
というふうに、自発的に動くような基礎体力がついてくる。
これは、決して僕がそういう人間だから、という訳ではない。
誰だって同じ日常を繰り返していたら、そういうセンサーが働くようになるもんだ。 とまあ、映像制作の現場では、書き尽くせないほどの経験を積んだと思っている。
そういう「下積み」は、クリエイティブにとって必要だと思っているが、WEBの業界にはそれがない。
デザイナーやコーダー、プログラマーは下積みというよりは、経験と実績で自分自身を成長させることができる。
デザインというのは、生まれもっての感性などもあると思うが、生まれもっての感性でなんとかなっちゃうツールがたくさんある。
だから、感性のある人では、ある程度のキャリアを積めばいい感じになる。
コーダーやプログラマーも師匠を必要としない。 わからないことがあれば、ネットで検索すればだいたい解決するからだ。「情報」や「テクニック」は無料で手に入る。
たとえば
「Javascript 横スクロール IE7 不具合」
と検索すれば、それに関する記述や説明が無料で手に入る。
「ファイル 上書き 先祖帰り 謝罪の言葉」
と検索しても、いまそこでクライアントに電話で説明するのにふさわしい言葉は手に入らない。
つまり、WEBディレクターが不在なのは、業界の構造として当然の結果であると考えられる。
僕が、ここで、「責任とは」 ということを論じるとする。
おそらく、それに対しては、誰だって「そうだよな」と共感してもらえると思う。
でも、実際に、自分がその立場にたったとき、同じように感じてもらえるかどうかはわからない。
人からの批判や、苦情や、罵倒に慣れないと、誰だって逃げ出したくなるものだから。
では、どうすればいいか。 答えは簡単だ。
自分の上司がいないのなら、 趣味でもいい、他の会社でもいい、近所のおっさんでもいい。 自分の師匠を何人か見つけることだ。
そして、その人と一緒に過ごし、観察し、ふるまいや言葉づかいをマネしてみること。
お茶したり、ご飯を食べたり、お酒を飲んだり、休日を過ごしたり、旅行に出かけたり。 それだけで、責任に少し近づける。
人があなたの言うことを聞いてくれるようになる。 嘘だと思ったら、試してみてから、文句を言ってください。
ただし、家族や身内は師匠にはなりえない。家族や友達は参考にならない。 他人で、できるだけ自分より年齢の離れた人がいい。
もしくは、そういった人が複数であればあるほどいい。
気心も知れない人であればよりベター。 まずは、これだけで新しい世界が見えてくるから不思議だ。
ディレクターの仕事とは、
「自分の意見や思想や価値観の合わない人と、いかに仲良くふるまうか」
ということなのだ。
自分の会社とは別の、家族とも別の世界で師匠を見つけるのことが、あらゆる場面で、どのように振る舞えばよいか、いいお手本を見つけることができる。
インターネットでは出会うことのできない振る舞いがそこにある。
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