人事を尽くして
はっきり言って、この「人事」に我々は翻弄されているのかもしれません。
日本大学がなんとももやもやした会見を行っているのも、内田前監督自身が日大の教職員の人事を支配しているからだというし、森友・加計学園問題も、いまの内閣が国家公務員の偉い人たちの人事決定権を持っているからだといわれています。
なるほど、そうかもしれません。
この「人事」によって、私たちは発言を歪められ、黒も白と言わなければならない。さらにいうと、セクハラ、パワハラなんてのも人事によって発生している問題といえます。つまり、ハラスメントは人事がなければただの迷惑か犯罪になるでしょう。
人事の利害関係
たとえば日大の加害選手は、日大にとってはお客さんです。たしかに彼は勇気を振り絞って正々堂々と世間に向けて自分の非を認め、謝罪した。この行為は素晴らしいと思います。
とはいえ、彼がこれをできたのは、お客さんだからだともいえます。
たしかに彼は自分の将来の活躍を奪われるというリスクもあったのだけども、とはいえ、その支配の及ばない立場になったとき、立場はコーチのそれとは大きく異なります。大学の人事において利害関係者ではなくなります。
とはいえ、彼がこれをできたのは、お客さんだからだともいえます。
たしかに彼は自分の将来の活躍を奪われるというリスクもあったのだけども、とはいえ、その支配の及ばない立場になったとき、立場はコーチのそれとは大きく異なります。大学の人事において利害関係者ではなくなります。
しかしながら、コーチや学長は人事に支配されているから正々堂々と発言することができない。
我々は人事に弱い生き物か
柳瀬さんや佐川さんも人事によって支配されているから、支配されている側に不利となる発言はできない。そんなことしたら、前川さんみたいに恥をかかされるたり、いまさら前川さんのように立派に振る舞える自信がない。または籠池さんのように長期間留置されるかも知れません。
そう考えてみると、彼らを責めるのも気の毒になってきます。
もしかすると、そもそも我々は人事に弱い生き物かも知れません。
であれば、マスコミや我々は、正々堂々と発言できない彼らを追い詰めるのではなく、彼らに救いと赦しを与えるべきなのではないかと考えます。
大丈夫だよ、人事を失っても、私たちがあなたを守ってあげますよ。逃げ場はそっちではなくこっちにあるんですよ。
こういう態度で、彼らの真実を受け止めてあげたらどうだろうか。
すべての責任をとった男
1997年、山一證券が破たんし、野澤社長は記者会見で号泣しながら、「私らが悪いんです。社員たちは悪くないのです。」と訴えました。
しかも、野澤社長はこのとき社長に就任してたった三ヶ月。彼は社長に就任してから2500億円の隠し債務を知ったといいます。
普通なら、自分だったら、
「私は何も知らない。悪くない」
と訴えたくなるのが当然です。しかし彼はすべてを引き受け、恥も捨て、号泣しました。
「私は何も知らない。悪くない」
と訴えたくなるのが当然です。しかし彼はすべてを引き受け、恥も捨て、号泣しました。
その後、彼は証券マンとしての能力はもちろん、信頼できる人間という評価を得て、別の証券会社の経営を任されました。
これは人事に翻弄されながらも、それを翻した話しですが。。。。
とはいえ、人事より信頼のほうが大事。
だけども、人事を信頼と勘違いしちゃうこともあります。
だけども、人事を信頼と勘違いしちゃうこともあります。
「人事」は人のために尽くすのものではない
「人事を尽くして天命を待つ」という言葉は、まるで人のために尽くしなさいよと言われているように感じます。もちろん、この人事はその人事ではないのです。
「人としてやれることはすべてやった。あとは運を天に任せるという心境だ」
という意味です。
「人としてやれること」それは自分の身を守るために世間を欺くことではないと思います。
人事に翻弄されて、人間であることを忘れてはならない。強く思う。
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