コンプライアンス時代のクリエイティブ

「型」と「マニュアル」は違う。

「型」は進化するし、柔軟だし、臨機応変だ。

「マニュアル」は自分から進化しない。バージョンアップしない限り、進化しない。
「型」は自律的に養われるが、「マニュアル」は自律的な考えや個別の考えを許さない。

これまで、世の中は(とくにわが国では)「型」を重んじ、先生や先輩からその「型」を受け継ぐことで、技や仕事、芸を磨いてきた。

「型」は思考を活性化させ、パフォーマンスを最大化いや実力以上のパフォーマンスを発揮することがある。

対して「マニュアル」は思考を停止させ、パフォーマンスを画一化させることで安定したサービスやクリエイティブを提供する。

しかし、いまや「型」から最も大切な概念を省略し、効率的なテクニックだけを抜粋した「マニュアル」ばかりが受け入れられる。

安っぽい分析が、分析らしい顔をして頭のいいふりをするが、それは分析ではなく、計算だ。だから「マニュアル」からは数字は見えてくるが、その数字の本質が見えてこない。表層的な現象を計算しているだけだから当然だ。

で、安っぽい分析は、それを「結果」という。「成果」という。
それは結果でも成果でもない。どちらかというと「経過」だ。

本質を見抜いていないのだから、それはただの数字だ。売上げもコストも一時的な経過を報告しているのに過ぎない。

企業でいえば、理念よりもコンプラインスが重んじられる。

音楽でいえば、テクニックや理論や形式ばかりが重んじられる。

Photoshopの使い方だけが上手くなる。

営業トークは上手くなる。

日本全国どこのコンビニでも、同じ商品、サービスが受けられる。

その結果、

自分のデザインがいいのか悪いのかすらわからない。

自分の歌う歌が、つくる音楽がいいのかどうかもわからない。

クライアントよりも社内の評価が重んじられる。

顧客のためではない商品やサービスを売らなくちゃならなくなる。

わざわざ秘境に来たのに、自宅の近所と同じ商品やサービスが常にある。

短期的に、マニュアル遵守、コンプライアンス遵守の経営やアプローチはビジネスにおいて大きな成果をあげるだろう。それは間違いない。

だって、マニュアルやコンプライアンスは数値化できるし、ルールが簡単だから、誰でも簡単に成果をあげられるからだ。

これは、掃除をしたり洗濯をしたりアイロンをかけたり歯磨きをしたりするのと一緒で、誰でも一定の成果をあげることができる。

しかし、売上げを伸ばしたり、顧客の心を掴んだり、お客様が殺到したり、といったようなことは、誰でも簡単にできるものではない。

たくさんの失敗があって、成功するかどうかわからないものだからだ。
いいものを作っていれば売れるというものではない。
いいものを作っていればデザインや音楽が評価されるというものではない。

それに比べたら、マニュアルやコンプライアンスは簡単だ。
だから、いま、企業や組織はこれらを必死にやっている。

でも、5年後、10年後、僕らは失った大きな代償に気づくはずだ。

マニュアル化された社会では、人は誰でも交換可能になる。

ブランドも交換可能になる。

企業も交換可能になる。

おそらく、日本企業のイノベーション技術も、別の国のイノベーションにとってかわれることだろう。

だから、いまこそ、「コンセプト」「観念」こういった「数値化できない見えざる価値」をしっかりと研究することが必要であり、過去の人たちの「型」を実践し、「型」を身につけ、未来に引き継いでいくことが必要なんじゃないかと思っている。

不便か便利か、ということではなく、
僕らが失っていく価値は、株価とかGDPよりももっと大切なものなのだ、ということを考えていくべきじゃないかと思います。

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